健康

【体験談】地震後のうつから立ち直った話




大阪北部地震に、北海道胆振東部地震と立て続けに地震が起きています。

次々と起こる自然災害に心が痛みます。

あなた自身やあなたの大切な人が心を痛めすぎて体調を崩したりしていませんか?

私は震災を体験した時に心を痛めてうつの状態になりました。苦しんでいる本人はどうすることもできなくて、毎日がとても苦しいものでした。

この記事は地震によりPTSDになった体験と、うつ状態から立ち直れたきっかけについて書いています。

もしあなたが当時の私のように苦しんでいるとしたら、この記事の内容が「今の状態から抜け出すヒント」になるかもしれません。

少しでもあなたの気持ちが楽になりますように。

地震直後は元気 阪神・淡路大震災

震災の詳細は省きますが、当時私が住んでいた兵庫県宝塚市(神戸市の隣)も阪神・淡路大震災では甚大な被害を受けました。

地震は1995年1月17日午前5時46分に起きました。家族に小さなケガはあったものの元気であることを確認しあった後、私は外が明るくなってきたのを見計らい付近の様子を見るために家を出ました。

家のすぐ近くに宝塚大劇場・宝塚ファミリーランドがあったのですが、ファミリーランドの象徴であった鳥類のいるドームが落ち、鳥の鳴き声が響いていたこと、柵の合間から見えたカバ、花の道の店舗は軒並み1階がつぶれている様子、大劇場が気になりパジャマのまま駆け付けていたタカラジェンヌの方達の様子など今でも昨日のことのように思い出せます。 

地震後は電気もガスも水道も止まり、全てが復旧するまでにとても長い時間がかかりました。

給水車まで水を汲みに行ったり、その水をマンションの10階まで階段を使って持ってあがったりを繰り返す日々を過ごしていました。

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身体の不調とともに心の不調が現れた

季節は真冬です。震災から1週間ほど後、私はインフルエンザにかかりました。

インフルエンザがひとつのきっかけとなり、気持ちがうつになっていきました。気付けば病気が治った後も布団から起き上がられないようになってしまいました。

テレビで災害状況を見て泣く

テレビは被災地の状況を繰り返し流します。

被災地の映像を見て涙がとまりませんでした。

一方、全国局ではすぐに普段通りのバラエティー番組などが放送されだしました。それを見ては「自分たちの身の回りはこれほどまでにひどい状況だというのにもう普通の番組が放送されているなんて・・・」と悲しくなりました。

そう感じるほどにナーバスになっていたのだと思います。

テレビCMを見て泣く

震災後しばらくCMといえばACジャパンの広告ばかりでした。

CMを見ても泣いていたことを覚えています。なぜCMを見ても泣いていたのかは未だにわかりません。

「どうして自分は生きているのか?」と泣く

甚大な被害を受けた場所以外の人にとって、地震は「終わったもの」として変わっていきました。しかし自分やライフラインがまだ完全復旧しない地域の人にとっては「地震(の被害)は続いているもの」でした。

ただただ、こんなにも大きな被害が起きている中で「どうして生き残っているのだろう。」「何もできないのに」と毎日泣いてばかりいました。

ターニングポイント 日常から離れる

少しずつ起き上がれる日も出てきたある日、友人が「梅田で会おう」と誘ってくれました。

梅田で見た光景

カルチャーショックでした。

TVの中のバラエティーではありません。現実に目の前の人たちが地震のことなんてすっかり忘れている様子なのです。

街の建物も何ひとつ崩れていません。お洒落なお姉さんがハイヒールで街を歩いています。

それに引き換え自分は、スニーカーにリュックといったすぐに避難できるような姿でした。

被災地から電車で40分離れただけでこんなにも世界が違うものなのかと衝撃を受けました。

衝撃を受けた状態で友人に会いましたが、友人は私と一緒にいてもちっとも楽しくなかったと思います。かなり気持ちがひねくれていたので私を誘い出したことを後悔していたかもしれません。

被災地以外の日常が、私を被災地から救い出した

梅田の日常を見て、全てがばかばかしくなりました。

自分たちが日々こんなにも苦しんでいるのに、街は普通で、普通の日々が戻っていて、いつも通りに皆が楽しそうに過ごしている。

梅田からの帰り道、私は決意しました。

「あの地震で生かされたのだから、生きてやろう」

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今思うこと

当時はまだ子供で多感な時期だっただけに感情もこじらせやすかったのだと思います。

呼び出してくれた友人とは今でも一番の親友で、当時のことは何度も感謝を伝えています。「あの日呼び出してくれていなければいつまで自分の殻に閉じこもり、うつと戦っていたのだろう・・・。」そう考えるとぞっとします。

呼び出してくれた友人に感謝しかありません。

もちろんこの一日で完全に心が軽くなったわけではありませんが、この日をきっかけに快方に向かいました。

PTSDは自分で抜け出そうと思って自分で抜け出せるものではありません。

心を休ませることが必要な時なのです。

だけど、誰かが何かのきっかけをくれたなら、無理はせずできる範囲で行動してみるのが良いと思います。

自分の心のSOSを伝えるためにも。

それで生きる世界が、見える世界が変わるかもしれないのですから。

災害は起こってからが戦いです。

あなたの心が災害に負けないよう願います。

最後までお読みいただきありがとうございました。

 

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